岡崎市ピアノ・音楽教室 講師紹介

温泉育ち

瀬戸市で、二人姉妹の長女として生まれる

肌が弱く湿疹が全身にできる。

基本薬で治すが、時々温泉に行くときれいに治ったらしい。

下呂温泉で私は育ったかも・・・笑

 

ピアノを習う

5歳からヤマハ音楽教室系の先生にピアノを習い始める。

初めの1年はオルガンで練習。

2年目にピアノを買ってもらう。

カトリックの幼稚園に通い、時々ミサや日曜学校など教会の行事にも参加する。

絵を描いたり絵本を読むのが好きだが、外でもよく遊んでいた。

 

白いピアノ

同じ団地の東京芸大卒の年配?の先生に習い始める。

厳しくて有名だったらしいが叱られた記憶は全くなく、かなりのびのびとレッスンしてもらえた。

近所の市民会館で行う小さい子の発表会と、名古屋のホテルで行う中学生以上の発表会があり、小さい時も余興?として大人の発表会に出してもらえた。

素敵な部屋で、白いピアノを弾けてうれしかった。

ずっと学級委員で友達も多かった。

4年生の時市内で引越し。

住宅街の学年2クラスから商業地の5クラスの小学校にかわりいろいろ衝撃を受ける。

あまり馴染めないながらも仲の良い友人ができる。

母が働き始め、放課後は妹や友達と遊んで過ごしピアノの練習量が減る。

 

ジャズ喫茶通い

父は色々なジャンルの音楽が好きで演歌や洋楽、スクリーンミュージックやジャズのレコードをかけて聴く。

母は私や妹の為に童謡やクラシックの曲を買って聴かせるが、私は父のレコードの方に興味を持つ。

時々父がジャズ喫茶に行くのについて行くのが楽しみ。

日曜日の朝早くなど、父は珈琲を飲みに。

瀬戸市なので、モーニングには、トーストとゆで卵がついていた。

だから、エレクトーンを習っている子がレッスンでポピュラージャズを弾けるのが羨ましかった。

 

いじめに会う

母は団地住まいで、周りも人に気をつかって大変だったらしいが、当の私はここまで友達にも恵まれ、天真爛漫に過ごす。

ところが、6年生の時クラスの中心になっている女子から、目を付けられ攻撃(主に悪口)される。

その子の好きな男の子と同じ班だったりというよくありがちなパターン。

でも、その子が怖いので、クラスの大半の女子は、その子に味方して私によそよそしくなる。

3人仲が良い友人がいて、孤立はせず相手にしないようにして過ごす。

その子は負けず嫌いで、私の方がピアノのレベルが進んでいることなども、面白くなかったらしい(中3の時本人以外から謝罪されて知った)。

 

 

目立つことが嫌いに

中学の時に学区内で引越し。

真面目に勉強して過ごす。

部活は美術部。

成績は良かったが、文化部や真面目に生活することが馬鹿にされる校風で馴染めず、塾の方が楽しかった。

クラス対抗合唱コンクールのピアノ伴奏や、学年行事の合唱の伴奏を行ったが、いずれも推薦で立候補はしたことがなかった。

担任と闘う

受験は、学校から進められる近くの管理教育で厳しい高校がどうしても嫌で、志願変更して名古屋市の高校へ。

当時瀬戸市は、閉鎖的な雰囲気があって、外部受験を嫌がった。

まさかの、担任から「内申を動かしてある」などと脅されたが、折れずに受験した。

 

自由な校風 

高校は地元と違い自由な校風でとても楽しく過ごした。

進学校なので、もうクラスや学年で上位にいなくても親から叱られる心配がないという開放感もあった。

音楽部(ジャズのビッグバンド)に入りアルトサックスにはまる。音楽部仲間とバンドを組んで文化祭などで演奏する。

ピアノの先生から音大受験を進められ、とりあえず準備だけなら…と声楽やソルフェージュを習い始める。

それまでは手が小さいこともあり全く考えていなかったので、勧められたことに私も親もとても驚いた。

音大受験の準備は、他の科目と全く異なり、新鮮で楽しく、ますます行きたくなる。

親は私を公務員や司書など堅い仕事に就かせたかったので、準備はさせたものの音大受験には大反対。

進学校の担任にも反対される。

他の大学も受けることを条件に何とか了解を得る。

一般的な受験勉強はほとんどせず当然落ちて、音大しか合格しなかった。

 

名古屋芸術大学 

ピアノを関口秋子先生に師事。

大学では、もともと音大に入れると思っておらず準備が遅かったことから、ピアノ演奏に対して自信がなく、校内演奏会などのオーディションを受けず先生に叱られた。

関口先生は今までの先生と全く違うタイプで、指づかいやテクニック、体の使い方など細かく丁寧に指導された。

おかげで腱鞘炎にもなりにくくなる。

サークルはジャズのビッグバンドに入り、無謀にも副科のサックスで参加(他の子は専攻楽器)。

管弦などピアノ専攻以外の知り合いが増えて試験の伴奏をよく頼まれた。

現代曲が多く自分の試験曲より難しい時もあったが、呼吸を感じて合わせるなど勉強になった。

 

気を使いすぎて失敗

「自分の練習も満足に出来ていないのにそんなことに手を出して!」と叱られると勝手に思い込み、先生に相談しなかったが、卒業間近になって「伴奏は勉強になるからどんどんやりなさい」と言われて、もっと相談すれば良かったと後悔する。

同じマンションの人に頼まれて自宅レッスンを始める。

 

初めての生徒は・・・・

美容院の娘さん。最初のレッスンはお互いにちょっと緊張気味だったが、アルバイトで培った笑顔が役に立って無事にスタート。

「来てくれてありがとう」という気持ちを込めてレッスンの始めと終わりには必ず笑顔であいさつするように心がける。

その後カワイの営業マンが受け持つ個人教室でも教え始める。

消費税導入で音大生のピアノ購入物品税免除が無くなることになり、親ローンでグランドピアノ購入。

学費で親に迷惑をかけている為、ヨーロッパ研修を諦める。

中学と高校の教諭免許、カワイ指導グレード6級ドリマトーン指導6級取得。

ドリマトーンはカワイの仕事を始めた際に習い始める。

新品の楽器を買う余裕はなく母の勤め先(事務)のヤマハ音楽教室から払下げのエレクトーンで練習。

 

笑顔が武器に

ミスタードーナツ、松坂屋で長期アルバイト。

接客や敬語、笑顔など勉強になった。

教員免許の為の教育実習では、母校(高校)の受け入れが出来ず(非常勤講師のみだった)

学校紹介の遠くの中学に行った為始発で通う。

クラスの雰囲気は良く子供達も可愛かったが、教科指導教諭は大変厳しかった。

子供達に対する規則などの締め付けも厳しく、自分には向いていないと感じたため、その中学から非常勤教員として来て欲しいと連絡があったが、親に相談せず断り後で叱られる。

高校の教員採用試験を受けたが、その年の愛知県の採用は0人。

県芸の教授の推薦がなければ高校の音楽講師にはなれないと知り諦める。

30人程生徒がおり、そのままピアノ講師を続けることに。

 

実績を積む

カワイ系の個人宅教室5日(3ヶ所)と自宅1日でレッスン。

午前中は近所の病院で診察介助のアルバイトをする。

生徒の成長や上達を間近に感じられ、仕事にはそれなりにやりがいを感じる。

カワイの営業の発表会に疑問を持ち同期4人で自宅生徒の発表会を始める。

 

結婚 

大学時代に知り合い付き合っていた主人(飲食業)と25歳で結婚。

名古屋に住む。

午前の病院のバイトを辞めてレッスンを週4日に減らす。

主人の帰宅は11時半過ぎるので、瀬戸でレッスンしても問題なかった。

1人で過ごす時間が増えて、独身時代に出来なかったゲームにはまる。

主人の転職に伴い引越し。

競馬場のすぐ近くだった為、競馬を楽しむようになる。

長男を妊娠しレッスンを実家のみ(週2)にする。

 

ワンオペ育児 

主人は育児には不参加(逆に自分の世話がしてもらえず不便に思うレベル)でほぼワンオペ育児。

飲食から実家の父と兄が営むガソリンスタンド業に転職した為、仕事も忙しくもともとあてにしていなかった。

長男が1歳の頃、岡崎市に引越し。

育児に追われてレッスン出来なかったが、2歳を過ぎた頃に同じマンションの人が生徒となりレッスンを始める。

レッスン中息子を預かってもらう。

そのうち同じマンションの生徒さんや息子のママ友繋がりで6人前後になる。

母が退職してからはレッスン日に岡崎に来てもらう。

 

岡崎市でピアノ教室オープン

これを機に近くに家を建て引越し。

自分の親を呼び同居し、念願の防音のレッスン室を作る。

看板を立てたり新一年生にポスティングしたりする。

小学校の吹奏楽部のお手伝いをボランティアでしたり、楽器店主催のセミナーに行ったりする。

その中で青木理恵先生のコーチング講座に感銘を受け、レッスンに取り入れる。

レッスンの規約や問い合わせ用のヒアリングシート、体験レッスン用の教室紹介パンフレットを作成、レッスンだより(不定期)の発行などを始める。

 

子育てで苦戦

息子達にピアノを教えるが、長男は中学受験、次男はドラムを習い始めるのを機に終了。

本当はヤマハのグループ体験などにも参加したが長男の落ち着きのなさに「他の人に迷惑をかけると大変(ー ー;)」と諦める。

次男がドラムを習った教室はプロのジャズドラマーで音大講師の黒田知良先生主催、前半は同じ曲をそれぞれ楽器別に練習し後半は皆でセッションするシステムでとても楽しく私もドラムやベースを習った。

その際『それほど上達しなくても楽しいレッスン』を知る。

 

音楽教室講師に

自分のレッスンのやり方に不安をもち、カワイの営業担当者にバイト的に出来ると誘われてカワイ講師になる。

良い機会だと思い指導5級を取得。

生徒の順調に増え、最高40人

比較的男の子も多く、いろんな生徒さんを担当するように

 

子育ては楽しむもの

自分の子育てがレッスンに活かされている

わが子は今でこそ、成人したが、なかなかに手を焼いた。

自分としては子育ては楽しむもので、苦労と思ってはもったいない。

できるだけ大変と思わないようにした。

今でも、いろんな生徒さんがくるが、慌てずに対応できているのは、手を焼かされた子供たちのおかげかもと

感謝

子育てなんてあっという間

可愛い時期も

なので、もっともっと子育てを楽しんでもらいたい

そのお手伝いが、できたら。

コーチングの手法などもレッスンに使っている